誰にだって表と裏はある。あなたは、どちらの顔が好きですか?
これは、ある少年の物語
少年は元気で活発な子でした
幼稚園ではガキ大将によく連れ回されていました
ガキ大将は少年ともう一人連れ、幼稚園を支配下においているような子でした
三人は家も近く幼稚園が終わると外でおにごっこや戦隊ごっこ、といつも走り回っていました
しかし少年は時にはガキ大将に襲い掛かり、幼稚園最強といわれた先生に二人一緒に怒られてバスに乗せてもらえず、泣いて帰ってきたこともありました
翌日には喧嘩したことなんてすっかり忘れ、またいつものメンバーで遊んでいるのでした
そんな少年も小学校にあがると、幼稚園時代のメンバーはクラスも別だったせいか、自然と遊ばなくなりました
小学校1年時は近所の子と下校班を組まされ、いつもある男の子と帰っていました
その子は明るく背の高い子でした
帰りが一緒なためその男の子の家に遊びにいきました
幼稚園とは打って変わってゲームで遊ぶようになりました
けれどその男の子にはお兄さんが二人いて、ゲームはいつも奪い合いなようで、使えないときは少年の家に呼び遊んでいました
少年の1年時一番の思い出は持久走大会でした
幼稚園でいつも走り回っていたせいか、走ることに自信はありました
いつも遊んでいる男の子も自信があるようで、本番では1番の子には全然追いつけないものの、2番を少年とその男の子が抜いて抜かれての繰り返しで男の子が勝ちました
少年はすごく悔しがりましたが、次ぎは絶対負けないと決まり文句を言い放ち、握手していました
2年に上がると土曜日以外は自由に帰っていいようになりました
そのためか、少年はぐんとお友達を増やします
学校では自称オカマな子と、学校が終わると少年と同じぐらいの背丈の男の子遊んでいました
自称オカマくんは誰とでも仲良しでいつも笑顔な裏腹、今度はどんな罠にはめてやろうかと悪だくみが大好きな子でもありました
同じほどの背丈の子とはテレビゲーム、ビーダマンで遊んでいました
学校では昼休みになれば外遊びをしていたものの、家に帰ってからは習い事があったため遊んでいられるのは週に1度きりでした
だから背丈が同じぐらいの子と遊べる日は特別に楽しく感じられるのでした
次ぎは絶対負けないといった持久走はがくんと下がって43人中12番でした
少年は習い事ばかりで下がったのだと思い込むようにするのでした
3年、少年はそれは恐ろしい先生のクラスとなります
先生が自己紹介をするときから少年は怖がっていたのでした
初めての授業、少年は目が痒くこすると「先生を試してるの?」と笑顔でいわれてぞっとしたのでした
家庭訪問、その期間は学校が早帰りなため遊ぶには絶好の機会でした
少年はもちろん週1ではあるが、普段より早く遊べるということで2年の時の同じぐらいの背丈の子と思いっきり遊んでいました
少年の家庭訪問の日、その日も遊んでいて先生が来られるとすごいお叱りを受けるのでした
「ゲームでなんか遊んでいないで外で遊びなさい」と言われ怖がるばかりでした
4年、3年の時と同じ先生が担任でした
少年はまたかと溜め息をついていましたが、少し違うようでした
家庭訪問の日、3年と同様友達と遊んでいましたが先生が来ると同時に別部屋に隠れてもらいます
先生は靴で友達がいることに気づいたのでしょう
「今日はゲームしていないの?」玄関で先生はそう言ったのでした
少年は少しだけ怖いイメージがなくなったようでした
お友達はたくさん増えていて、テレビゲームをして遊びもしますが遊戯王カードというものが流行っていました
しかし、お友達がそのカードで遊びはじめると少年は影のような存在になりました
少年はカードを持っていなかったのです
正確には5枚だけ持っていました
親にすがってやっと1パック買い、これで皆と一緒の輪に入れると思っていた考えは甘かったのです
友達はお小遣いを貰っていてそれでいくつも買って、数十枚も使ってカード対戦をして楽しんでいたのでした
少年はお小遣いなどもらっていなくて、テレビゲームなど親に買ってもらっていました
そんな親でも、カードというのはいくつもいくつも買わなければいけないという理由で買ってはくれなかったのでした
ゆえに少年にはカードの時間は皆別の世界にいってしまっているような気がして辛かったのです
5年、担任ががらりと違うタイプの先生に変わります
運動と遊びが大好きな先生でした
教室には先生自身が野球と裸足のゲンという2種類のマンガを持ち込んで自由に貸し出していました
先生の授業は授業にならず、いつも先生の昔話で終わっていました
そんな担任の影響か、次第に少年は勉強をめんどくさがるようになります
習い事も夏にはピアノ、水泳の2つを辞めてしまいます
少年はすっかり宿題以外の勉強をしなくなり、成績も少しずつ落ちていきます
それでも、時々自主学習帳というものを提出し、担任に授業についての抗議文を出します
返却される自主学習帳には担任からの抗議に対する抗議文で2ページ赤く埋め尽くされるのはざらでした
5年の時には自称オカマくんの転校があって、少し寂しい時期でもありました
6年、また同じ担任
すっかり遊ぶだけの毎日になった少年、そんなとき二度目のカードブームが始まるのでした
今度はデジモンカードというもので、また数十枚を使って対戦するという内容でした
6年にもなれば少年にもお小遣いというものはもちろんあって、月千円を貯めていたお金で一気にカードを買うのでした
4年の時とは違って皆の輪に入れる
しかしそんな思いは束の間、相手に対戦で勝ちたいとお金をいくらもいくらも費やしてカードを集めるようになるのです
いい物が揃う頃には廃れる物
少年はお金の使い方に後悔するのでした
カードが廃れてからは下手でも皆の輪に入って野球をする日々
グランドが駐車場と化すまでは。
幼稚園ではガキ大将によく連れ回されていました
ガキ大将は少年ともう一人連れ、幼稚園を支配下においているような子でした
三人は家も近く幼稚園が終わると外でおにごっこや戦隊ごっこ、といつも走り回っていました
しかし少年は時にはガキ大将に襲い掛かり、幼稚園最強といわれた先生に二人一緒に怒られてバスに乗せてもらえず、泣いて帰ってきたこともありました
翌日には喧嘩したことなんてすっかり忘れ、またいつものメンバーで遊んでいるのでした
そんな少年も小学校にあがると、幼稚園時代のメンバーはクラスも別だったせいか、自然と遊ばなくなりました
小学校1年時は近所の子と下校班を組まされ、いつもある男の子と帰っていました
その子は明るく背の高い子でした
帰りが一緒なためその男の子の家に遊びにいきました
幼稚園とは打って変わってゲームで遊ぶようになりました
けれどその男の子にはお兄さんが二人いて、ゲームはいつも奪い合いなようで、使えないときは少年の家に呼び遊んでいました
少年の1年時一番の思い出は持久走大会でした
幼稚園でいつも走り回っていたせいか、走ることに自信はありました
いつも遊んでいる男の子も自信があるようで、本番では1番の子には全然追いつけないものの、2番を少年とその男の子が抜いて抜かれての繰り返しで男の子が勝ちました
少年はすごく悔しがりましたが、次ぎは絶対負けないと決まり文句を言い放ち、握手していました
2年に上がると土曜日以外は自由に帰っていいようになりました
そのためか、少年はぐんとお友達を増やします
学校では自称オカマな子と、学校が終わると少年と同じぐらいの背丈の男の子遊んでいました
自称オカマくんは誰とでも仲良しでいつも笑顔な裏腹、今度はどんな罠にはめてやろうかと悪だくみが大好きな子でもありました
同じほどの背丈の子とはテレビゲーム、ビーダマンで遊んでいました
学校では昼休みになれば外遊びをしていたものの、家に帰ってからは習い事があったため遊んでいられるのは週に1度きりでした
だから背丈が同じぐらいの子と遊べる日は特別に楽しく感じられるのでした
次ぎは絶対負けないといった持久走はがくんと下がって43人中12番でした
少年は習い事ばかりで下がったのだと思い込むようにするのでした
3年、少年はそれは恐ろしい先生のクラスとなります
先生が自己紹介をするときから少年は怖がっていたのでした
初めての授業、少年は目が痒くこすると「先生を試してるの?」と笑顔でいわれてぞっとしたのでした
家庭訪問、その期間は学校が早帰りなため遊ぶには絶好の機会でした
少年はもちろん週1ではあるが、普段より早く遊べるということで2年の時の同じぐらいの背丈の子と思いっきり遊んでいました
少年の家庭訪問の日、その日も遊んでいて先生が来られるとすごいお叱りを受けるのでした
「ゲームでなんか遊んでいないで外で遊びなさい」と言われ怖がるばかりでした
4年、3年の時と同じ先生が担任でした
少年はまたかと溜め息をついていましたが、少し違うようでした
家庭訪問の日、3年と同様友達と遊んでいましたが先生が来ると同時に別部屋に隠れてもらいます
先生は靴で友達がいることに気づいたのでしょう
「今日はゲームしていないの?」玄関で先生はそう言ったのでした
少年は少しだけ怖いイメージがなくなったようでした
お友達はたくさん増えていて、テレビゲームをして遊びもしますが遊戯王カードというものが流行っていました
しかし、お友達がそのカードで遊びはじめると少年は影のような存在になりました
少年はカードを持っていなかったのです
正確には5枚だけ持っていました
親にすがってやっと1パック買い、これで皆と一緒の輪に入れると思っていた考えは甘かったのです
友達はお小遣いを貰っていてそれでいくつも買って、数十枚も使ってカード対戦をして楽しんでいたのでした
少年はお小遣いなどもらっていなくて、テレビゲームなど親に買ってもらっていました
そんな親でも、カードというのはいくつもいくつも買わなければいけないという理由で買ってはくれなかったのでした
ゆえに少年にはカードの時間は皆別の世界にいってしまっているような気がして辛かったのです
5年、担任ががらりと違うタイプの先生に変わります
運動と遊びが大好きな先生でした
教室には先生自身が野球と裸足のゲンという2種類のマンガを持ち込んで自由に貸し出していました
先生の授業は授業にならず、いつも先生の昔話で終わっていました
そんな担任の影響か、次第に少年は勉強をめんどくさがるようになります
習い事も夏にはピアノ、水泳の2つを辞めてしまいます
少年はすっかり宿題以外の勉強をしなくなり、成績も少しずつ落ちていきます
それでも、時々自主学習帳というものを提出し、担任に授業についての抗議文を出します
返却される自主学習帳には担任からの抗議に対する抗議文で2ページ赤く埋め尽くされるのはざらでした
5年の時には自称オカマくんの転校があって、少し寂しい時期でもありました
6年、また同じ担任
すっかり遊ぶだけの毎日になった少年、そんなとき二度目のカードブームが始まるのでした
今度はデジモンカードというもので、また数十枚を使って対戦するという内容でした
6年にもなれば少年にもお小遣いというものはもちろんあって、月千円を貯めていたお金で一気にカードを買うのでした
4年の時とは違って皆の輪に入れる
しかしそんな思いは束の間、相手に対戦で勝ちたいとお金をいくらもいくらも費やしてカードを集めるようになるのです
いい物が揃う頃には廃れる物
少年はお金の使い方に後悔するのでした
カードが廃れてからは下手でも皆の輪に入って野球をする日々
グランドが駐車場と化すまでは。
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